「生きていた!」震災を耐え抜いた希望の酒〜歌手・クミコが石巻に捧ぐ〜

クミコさんと石巻

 2011年3月11日。日本を代表するシャンソン歌手であるクミコさんは、コンサートのために初めて訪れた石巻で東日本大震災に遭った。凄まじい地鳴りと、けたたましい警報。何が起きているのか全くわからなかったが、地元の人たちにうながされるまま、身ひとつで高台に逃げた。

 その途中でふと振り返ると、雪が舞い散る街。はるか遠くで、車がフワフワと奇妙な動きをしていた。不可解だったが、足を止める暇はなかった。それが、津波で流されていた車だったと知るのは数時間後のことだ。

 息を切らしながら避難した高台は、屋根などのない、土砂がむき出しの採石場。骨の髄まで凍てつく寒空の下、見知らぬ人たちと励ましあいながら、不安な一夜を過ごした。まだ余震の続く翌朝、変わり果てた石巻の街を目のあたりにしたときの衝撃を語る言葉は今も見つからない。

 東京に戻ってから、クミコさんの心身に異変が表れはじめた。気力をなくし、なんとか続けたのは、ひとり鏡の前に立って口角をあげる練習。「もう、以前のように歌うことができないのだろうか」と、不安でふさぎ込む日が続いた。

 震災から3カ月後、クミコさんは石巻を再訪する。被災者から「どうしても」と懇願されたミニライブのためだ。同じく石巻で被災した人々を励ますことができればとの思いから引き受けたものの、まだ調子が戻らず、気が重かった。

 ところが、永六輔さんが作詞した「ともだち」を歌いはじめると、不思議なことが起きた。ステージから降りて、前列の観客と手を触れ合いながら歌うと、スッと心身が解き放たれるような感覚になったのだ。そして気がつけば、笑顔で歌えるようになっていた。自分の感情を優先するのではなく、曲の持つメッセージを聞き手に届けようと歌うクミコさんだが、このときは涙をこらえることができなかった。応援するつもりで石巻へ来たのに、逆に自分が励ましてもらっているのだと。

石巻で行ったミニライブ
震災から3カ月後、石巻で行ったミニライブ。スタート時は、まだ心身がこわばっていた。(2011年6月撮影)

 それ以来、クミコさんは歌い手である自分にできることを探し続け、何度も、何度も、石巻へ足を運んだ。

 老舗楽器店を営む80代のオーナーが、津波で壊れたピアノを懸命に修理しているという話を耳にすると、すぐに店へ駆けつけて激励した。2011年9月、オーナーが見事にピアノをよみがえらせた時には、避難所となっていた小学校の体育館で「手づくり」のコンサートを実施。一度は壊れたピアノとは思えないほどの美しい音色に、地元のコーラス隊も、満員の観衆も泣いた。抑圧された避難所生活で、普段は感情を押し殺している被災者にとって、音楽や芸術などにふれて「泣ける」ということが心身の救いになるのだという。

 「石巻のみんなと一緒に歌いたい」という思いを込めて、クミコさんが自ら作詞・作曲した曲も誕生。震災から約1年後の2012年2月に、石巻中央公民館で約200人の市民を招いて公開レコーディングを行った。その曲は「きっとツナガル」というタイトルで、同年4月にCDが発売されている。

 このように、石巻とクミコさんの交流は数限りない。「紅白歌合戦に出場したキャリアのある歌手」という肩書きなど一切かなぐり捨てた、「クミコ」というひとりの人間としての姿が、そこにはある。

小学校の体育館で行ったコンサート
小学校の体育館で行ったコンサートには、地元のコーラス隊も参加。「再生ピアノ」の美しい音色が感動を呼んだ。(2011年9月撮影)

 2018年の晩秋、「わん酒」を翌年3月に立ち上げるための準備をしていた私は、酒処(さけどころ)の東北で被災した酒蔵へ、何か役に立てることはないかと考えていた。ちょうどその頃、クミコさんのマネージャーより、「クミコさんは日本酒が好きらしい」という情報を入手。詳しく聞いてみると、震災後に石巻で行ったライブの打ち上げで、地元の名酒である「日高見(ひたかみ)」を振る舞われて以来、好んで飲んでいるという。まさに「わん酒」が欲していたストーリーだと確信した。無理を承知でクミコさんに寄稿の打診をしたところ、「石巻と日高見のためなら、喜んで」とふたつ返事で承諾してくださった。

編集・構成:細野透子(わん酒・プロデューサー)

 

石巻と希望の酒「日高見(ひたかみ)」に思いを寄せて(寄稿:クミコ)

 石巻。仙台から北へ向かうのではなく、牡鹿(おしか)半島へとぐるっと回る。

 私がこの街に初めて来たのは、2011年3月11日。みやぎ生協さんとの2年越しのコンサートの夢が、ようやく実現する日だった。夜の公演へ向け、まだ昼間に現地入り。ゆっくり昼食をとり、さあて、3時からリハーサルだと支度していたとき、あの大地震が起こった。

 それから、石巻は私にとって特別な街になった。

 震災後3カ月目に再び足を踏み入れ、街のシンボルでもある日和山(ひよりやま)に登った。震災当日、多くの市民が逃げ込み、そして津波に飲み込まれていく街を目にした小さな山だ。

日和山から望む、北上川と石巻湾
日和山から望む、北上川と石巻湾。津波により北上川が氾濫し、石巻市は大きな被害を受けた。復興に向けて今も工事が進められている(画像提供:山田廣康さん 2019年2月撮影)

 「日高見」。この酒瓶のラベルを目にした瞬間、日和山を思い出した。

 同じなのは「日」だけなのに、なぜか同じに見える。悲しみを抱えながら、明日へと足を踏ん張り立ち上がる象徴のような日和山、それと同じに見えた。

 高いところから日を見る、という意味を持つ「日高見」。思えば同じ源を持つ言葉のようでもあった。

 (日。太陽。これはどんなことがあっても次の日に昇ってくる。事実、雪だった大震災の翌日は、素晴らしい晴天だった。この美しい朝を、私は忘れることができない)

美しく洗練された筆文字で「日高見」と書かれたラベルの酒瓶
美しく洗練された筆文字で「日高見」と書かれたラベルの酒瓶

 あれから、8年。冬の石巻にしては、珍しく風のない暖かい日に平孝(ひらこう)酒造さんへ伺った。「日高見」を造る、老舗の蔵元だ。

 私たちを迎えてくださったのが社長の平井孝浩(ひらいたかひろ)さん。ジージャン姿がよく似合う、まるで俳優さんのような渋みのある素敵な男性だ。

 「うちのおばあちゃんは江戸っ子だったんですよ」と、べらんめえの、ヤボを嫌うチャキチャキの江戸っ子。それが、この平井さんのルーツでもあるという。

まるで俳優のようにスタイリッシュな平孝酒造の5代目社長、平井孝浩さん
まるで俳優のようにスタイリッシュな平孝酒造の5代目社長、平井孝浩さん。(2019年1月撮影)

 なるほど。「日高見」のスッキリとした、袖にしがみつくような未練のない味わいは、まさに都会的ともいえる。この「しがみつかない後味」が、魚によく合う。これこそが、この酒の真骨頂なのだと知った。

 塩だけで飲める日本酒、というのが日本酒を褒める一つの表現ともいえるが、「日高見」はそうではないと平井さんは言う。大きな漁港を持つ石巻の、豊かな海の幸と共に味わえる酒、魚の旨さを引き立てる酒。魚と共生する酒だと言う。

 そういえば、石巻に来るたび、さまざまな海の幸をいただいてきた。仮設住宅団地で開くライブにも、おばちゃんやら、おばあちゃんやらが、カニやらホヤやらと、こぼれんばかりに皿を運んできてくれた。狭い仮設住宅の部屋にも、私たちをもてなそうと、今度は机いっぱいに皿が並んだ。今は大変だけれど、ここはそういう海の恵みとともに生きてきた街なのだと、その料理たちは教えてくれていた。

仮設住宅団地でライブを行うクミコさん
仮設住宅団地でライブを行うクミコさん。この後も、仮設住宅内で「日高見」とともに大宴会が開かれた。(2013年5月撮影)

 震災の後、被害にあった酒蔵の中の酒たち。酵母が生きているのかどうか、息を詰めるように確認すると。

 「生きていた!!」その時の喜びを平井さんは目を輝かせて語る。

 酒は死んではいない。石巻も死んではいない。だからここからまた一歩ずつ歩きだせばいい。

震災後の平孝酒造
震災後、大地震で蔵のいたるところが破壊され、当時は2週間も停電が続いた。発酵中の大切な酒を放置せざるをえなかった平井さんたちは、絶望感を味わったという。(画像提供:平孝酒造 2011年3月撮影)

真新しい仕込み室
真新しい仕込み室で、ぶくぶくと泡立つタンクに驚くクミコさん。酒は生きているのだと実感する。(2019年1月撮影)

 現代的な造りに再生された平孝酒造は、こうして、希望の酒「日高見」を造り続けている。

 過去の痛みを忘れることなく、未来の光を見続けながら、この石巻の名酒は今も生まれ続けている。

再建した蔵
「全壊レベル」と診断された蔵を、多額の借金を背負いながらも再建した。(画像提供:平孝酒造 2011年3月撮影)

生まれ変わった蔵
清潔で管理の行き届いた先進的な蔵に生まれ変わり、名酒を造り続けている。(2019年1月撮影)

手話が描かれている「HITAKAMI」の文字
「HITAKAMI」文字の上には、平井さんのアイデアにより、手話が描かれている。(2019年1月撮影)

生まれ変わった蔵の外壁に不ぞろいに配された窓
生まれ変わった蔵の外壁に不ぞろいに配された窓は、点字で「日高見」を意味するのだという。未来を見据え、環境や人にやさしい酒造りを目指す平井さんの思いや人柄が表れている。(2019年1月撮影)

寄稿:クミコ

東京からおいしく飲んで応援!「日高見」が楽しめる店

 昨今、都内のこじゃれた居酒屋や小料理屋などでもよく見かけるようになった「日高見」。ほどよい旨味を内包しながらもキレが良く、次の杯を誘う爽やかな後口は、さまざまな料理にさらりと合わせられる。しかしながら、巷で「寿司王子」と呼ばれるほどの江戸前寿司好きである平井社長が「世界一寿司や魚に合う酒」を追求して生まれた「日高見」だけあって、やはり海鮮との相性が抜群に良い。

 都内で「日高見」を飲める店として特におすすめしたいのは、中野駅から徒歩2分の「宮城漁師酒場 魚谷屋」。宮城の若手漁師集団「フィッシャーマン・ジャパン」が運営するこの居酒屋は、平孝酒造のある石巻をはじめとした三陸地域から、漁師が毎日新鮮な魚介類を直送する人気店だ。旬な食材を提供することに徹底的にこだわっているため、メニューは日々変わるという。

 「日高見」はもちろん、「墨廼江」や「水鳥記」など、宮城で被災した酒蔵の日本酒も豊富に取りそろえている。日本酒ファンにはたまらない、飲み放題(2,690円)も魅力的だ。震災で大きな被害に遭いながらも必死の思いで立て直し、「がんばっぺ」精神で日本酒を造り続けている酒蔵を、東京から「おいしく飲んで応援」してみてはいかがだろうか。

「魚谷屋」の店主 魚谷浩さんとクミコさん
平孝酒造へ訪問する前に、クミコさんとの事前打ち合わせを「魚谷屋」で行った。とろけるほど鮮度の高い魚介に舌鼓を打ちつつ、店主である魚谷浩さんの情熱的な説明をお伺いしながら飲む「日高見」は格別だった。

編集・構成:細野透子(わん酒・プロデューサー)
撮影:北村彩(わん酒・Webディレクター)

 

酒蔵紹介

 株式会社平孝酒造
 〒986-0871 宮城県石巻市清水町1丁目5-3
 0225-22-0161
 代表銘柄:日高見

店舗紹介

 宮城漁師酒場 魚谷屋
 営業時間:17:00~23:30(日曜・祝日定休)
 TEL:03-6304-8455
 所在地:東京都中野区中野2-12-9 高田ビル B1F

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